追悼・大見忠弘先生

「悲しくなるほど勉強しなければ、新しいものは生みだせない!!」

理事・副会長 泉谷 渉

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  「巨星墜つ!」とはこのことだろう。半導体製造分野の世界的権威である東北大学名誉教授の大見忠弘先生が急死された。すさまじい勢いで駆け 抜けた 77 年間であったと切に思う。

  大見先生が世に出たのは、何といっても世界の半導体工場に衝撃を与えた「ウルトラスーパークリーンルーム」の理論であった。その後、シリ コンウェハーの(100)面以外の面に作りこむ手法、さらにはパワー半導体、 太陽電池など「大見メソッド」は常に時代をとらえ、時代に先行していた。

 筆者は 30 年来のつきあいであり、大見先生に最も親しいジャーナリス トであったように思う。それだけに、先生の一挙一動を常に見させていた だく機会に恵まれたのだ。「けんか」騒動は年がら年中、とにかく熱くな る方であった。大酒飲みの議論好き、そしてお美しい女性がお好きな方であった。

 しかして、常に強調されていたのは、「本当の本モノの理論だけが生き残る」「真理と学問に裏 打ちされていない手法はほろびる」「いいかげんなカンに頼る半導体の作り方はもう止めろ」ということ であった。

 

  また、最近の研究者、開発者、学生のひとたちにかなり不満をおぼえておられた。面と向かって言う ことはなかったが、二人で飲んだ時にはいつも口ぐせのように「俺たちは悲しくなるくらいに勉強した。 明けても暮れても勉強だった」といって酒をあおっておられた。悲しくなるほど勉強しなければ、命を かけて研究しなければ、真に新しいものは生み出せない、という意味だろう。

 

 「インテルをふるえあがらせた男」として知られた大見先生は、一方で優しい人でもあった。

一生懸 命にやっている人たちにはいつでも優しく接し指導されていた。

 しかし、適当にその場かぎりでごまか そうとする人たちには大変厳しかった。部下をおこれない、学生をしかれない人たちが多くいることを なげいておられた。「愛情があるからどなってしかれるのだ!」といつも言っておられたのだ。

 

  NEDIA 副会長でもあった大見先生を失い、ニッポン半導体は大きな指針を失った。それでも筆者の耳 には大見先生の声が聞こえるのだ。「諸君、心を高くかかげよう。志の高さが成すことの大きさを決める のだ。」という声がはっきりと聞こえてくるのだ。